ミルトン・ナシメントと鉄道|映画『ビトゥーカ ミルトン・ナシメント フェアウェルツアー』公開記念ミニコラム

ミルトン・ナシメントと鉄道 ─ 列車は、記憶を運び、人生を歌う ─

 ミルトン・ナシメントの音楽には、何度も列車が現れる。

 それは単なる乗り物ではない。ミナスジェライスの山あいを走る鉄道であり、故郷と外の世界を結ぶ線であり、誰かを連れてくる音であり、誰かを連れ去る音でもある。駅のベンチ、遠い汽笛、煙を吐く機関車、空っぽになった広場、見送る人、帰ってくる人。ミルトンの歌において「trem」は、いつも風景以上のものを運んでいる。

・鉄道は、出会いと別れの場所である。
・鉄道は、郷愁の器である。
・鉄道は、失われた共同体の記憶である。
・そしてときに、人生そのものの比喩になる。

 リオデジャネイロで生まれ、幼いころにミナスジェライス州トレス・ポンタスへ移ったミルトンにとって、列車は外の世界へ向かう通路だった。海のない内陸の町から、別の土地へ出ていくための音。故郷を離れるときの音。再び戻ってくるかもしれないという予感の音。その響きは、彼の音楽の深いところで、ずっと鳴り続けている。

最初に響いた「列車の音」

 その始まりに置きたいのが、「Barulho de Trem」である。タイトルはそのまま「列車の音」。1964年、ミルトンがコンジュント・ホリデイの一員として録音した、彼の最初期の自作曲のひとつである。

 ここにある列車は、まだ壮大な人生の比喩ではない。駅にいる人、ベンチ、列車の動き、音。そのような日常の情景の中から、若いミルトンの音楽は立ち上がっている。けれど、振り返ってみれば、この題名はあまりにも象徴的だ。彼の長いキャリアは、列車の音から始まっていた、と言いたくなるほどに。

 列車は、トレス・ポンタスと外の世界を結ぶ。地方の少年が、町を出て、ベロオリゾンチへ向かい、リオへ向かい、やがて世界へ向かう。その旅の最初の遠い合図が、「Barulho de Trem」には含まれている。

 この曲は、長いあいだ彼の代表曲として語られるものではなかった。しかし1999年のアルバム『Crooner』で、ミルトンはこの初期曲を再び取り上げる。ダンスホールやナイトクラブで歌っていた若き日の記憶を振り返るようなアルバムの中で、「Barulho de Trem」が戻ってくることには、大きな意味がある。世界を旅した歌手が、最後には最初の列車の音を確かめに帰ってくる。そこには、ミルトンの音楽に流れる円環の感覚がある。

青い列車、狂気の列車

 1972年の『Clube da Esquina』には、鉄道のイメージを持つ曲が二つ並ぶ。「O Trem Azul」と「Trem de Doido」である。どちらもミルトン自身の作曲ではないが、クルービ・ダ・エスキーナという共同体の中で、列車のイメージがどれほど重要なものだったかを示している。

「O Trem Azul」は、ロー・ボルジェスとロナルド・バストスによる曲で、原録音ではロー・ボルジェスの声が前に出る。青い列車という言葉には、現実の鉄道を越えた夢の感触がある。列車は、どこかへ行くための機械でありながら、ここでは内面の旅を運ぶ乗り物にもなっている。太陽、空、移動、若さ、遠い場所への憧れ。『Clube da Esquina』全体に漂う、地方の若者たちが世界へ耳を開いていく感覚が、この曲には柔らかく刻まれている。

 一方の「Trem de Doido」は、ロー・ボルジェスとマルシオ・ボルジェスによる曲である。こちらの列車は、よりロック的で、ざらついた手触りを持つ。走り出した列車は、どこへ向かっているのかはっきりしない。高揚と不安、自由と混乱が同時に押し寄せてくる。タイトルにある「doido」は、狂気、常軌を逸したもの、あるいは普通の秩序から外れてしまったものを思わせる。

『Clube da Esquina』が生まれた1972年のブラジルは、軍事独裁のただなかにあった。若者たちの音楽には、直接的な政治スローガンではなくても、時代の圧迫感や逃走への欲望がにじんでいる。青い列車が夢や憧れを運ぶなら、狂気の列車は、秩序の外へ飛び出そうとする衝動を運んでいる。どちらも、街角に集まった若者たちが、ミナスの内側から外の世界へ向かおうとした時代の音である。

失われた鉄路、「Ponta de Areia」

 ミルトンの鉄道の歌として、最も重要なのは「Ponta de Areia」だろう。1975年のアルバム『Minas』に収録された、ミルトン・ナシメントとフェルナンド・ブランチの共作である。

 この曲が歌うのは、かつてミナスジェライス州とバイーア州南部を結んでいたバイーア・ミナス鉄道の記憶である。鉄道は、内陸のミナスを港と海へ結び、人や物資や時間を運んでいた。だが、1966年にその線路は廃止され、列車は来なくなった。町には、かつての賑わいの記憶だけが残る。

「Ponta de Areia」は、失われた鉄路への哀歌である。けれど、それは単なる懐古ではない。鉄道が失われるということは、交通手段が消えることにとどまらない。町と町を結んでいた線が切れる。人々が集まる場所が空になる。列車を見送る時間、迎える時間、駅で交わされる言葉、窓辺に立つ人の姿、そうした生活のリズムそのものが消えていく。

 だからこの曲の喪失感は深い。ミルトンの声と子どもたちの合唱が響くとき、そこには廃線の悲しみだけでなく、共同体の記憶が途切れてしまうことへの痛みがある。

 音楽的にも、「Ponta de Areia」は特別である。ポピュラー音楽では珍しい9/4拍子で書かれていると分析されているが、聴いているとその複雑さはほとんど前に出てこない。むしろ、短い旋律が何度も反復されることで、遠くから列車の音が近づき、また遠ざかっていくような円環が生まれる。拍子の珍しさは、技巧としてではなく、記憶の深さとして響く。

 この曲がウェイン・ショーターとの『Native Dancer』でも重要な位置を占めたことは、ミルトンの音楽の本質をよく示している。非常にローカルな鉄道の記憶が、世界のジャズの文脈へ届いていく。彼は、世界に合わせて自分の土地を薄めたのではない。むしろ、ミナスの土と鉄路の記憶を深く歌ったからこそ、世界へ届いたのである。

舞台のための「Último Trem」

 鉄道のモチーフは、レコードの中だけにとどまらない。1980年、ミルトンはベロオリゾンテの舞踊団グルーポ・コルポのために、バレエ作品『Último Trem』の音楽を手がけた。脚本にはフェルナンド・ブラント、振付にはオスカル・アライスが関わっている。音源としては長く未発表のままだったが、2002年に『Maria Maria / Último Trem』としてまとめて発表された。


「Último Trem」とは「最後の列車」という意味である。そこには、いかにもミルトンらしい響きがある。最後の列車とは、終わりへ向かうものだろうか。それとも、まだ間に合うかもしれないという希望の乗り物だろうか。終電に乗る人は、何かを失った人かもしれないし、どこかへ逃げる人かもしれないし、帰る場所を探している人かもしれない。

 同じミナスの地で活動する舞踊団、グルーポ・コルポのために作られたという点も重要である。ミルトンの鉄道は、耳で聴かれるだけでなく、身体によって踊られるものになった。列車のリズム、車輪の反復、駅で交差する人々、出発と到着の動き。それらは、舞台上の身体を通して、もうひとつの言語へ変わっていく。

 ミルトンの音楽には、もともと身体性がある。声は呼吸であり、呼吸は身体である。鉄道の反復するリズムは、その身体性とよく響き合う。『Último Trem』において、列車は音楽の題材であるだけでなく、時間と身体を動かす構造そのものになっている。

駅は人生そのものになる

 1985年の「Encontros e Despedidas」で、ミルトンの鉄道のイメージは、人生そのものの比喩へと昇華される。アルバム『Encontros e Despedidas』に収められた、ミルトンとフェルナンド・ブランチによる名曲である。

 ここで歌われるのは、駅のプラットホームである。列車が到着し、別の列車が出発する。誰かが来る。誰かが去る。抱き合う人がいる。泣く人がいる。見送る人がいる。帰ってくる人がいる。駅は、人生のすべての縮図になる。

「Encontros e Despedidas」の美しさは、出会いと別れを対立させないところにある。到着は、いつか出発になる。別れは、別の出会いの入口になる。人生は、同じホームの上で、喜びと悲しみを何度も行き来する。その無常を、ミルトンは冷たくではなく、深く温かいまなざしで歌う。

 この曲を聴くと、「列車」というモチーフがミルトンの音楽の中で長い時間をかけて変化してきたことがわかる。「Barulho de Trem」では、列車は若い音楽家の目の前にある風景だった。「Ponta de Areia」では、それは失われた共同体の記憶になった。そして「Encontros e Despedidas」では、列車と駅は、人生、生と死、出会いと別れを抱える大きな比喩になる。

 この変化こそが、ミルトンの鉄道の豊かさである。列車は、ただ走っているのではない。時間の中で意味を変えながら、彼の歌の中を走り続けている。

ジョビンの列車を歌う

 2008年、ミルトンはジョビン・トリオとのアルバム『Novas Bossas』で「Trem de Ferro」を歌っている。これはミルトン自身のオリジナルではない。マヌエル・バンデイラの詩にトン・ジョビンが曲をつけた作品である。

「Trem de Ferro」は、ブラジル文学と音楽の中でも特別な鉄道の歌だ。マヌエル・バンデイラの詩には、列車のリズムそのものを言葉で再現するような面白さがある。そこにジョビンの音楽が加わり、鉄道は詩と旋律のあいだを走る。ミルトンが晩年にこの曲を歌ったことは、自身の鉄道の記憶を、ブラジル音楽の大きな伝統の中に接続する行為のようにも聴こえる。

『Novas Bossas』は、ボサノヴァ誕生50周年の文脈で作られた作品でもある。ミルトンは、ボサノヴァの系譜を外側から眺めるのではなく、自分の声でそこに参加する。ジョビンの列車を歌うミルトンの声には、ミナスの汽笛と、リオの洗練された和声と、ブラジルの詩の記憶が重なっている。

子どもたちのための季節の列車

 2017年には、思いがけない形で、ミルトンの列車が子どもたちの世界へ入っていく。ブラジルの子ども向け音楽・アニメーション企画、Mundo Bitaの「Trem das Estações」に、ミルトンが参加したのである。

 この曲では、秋、冬、春、夏という季節をめぐる列車の旅が描かれる。ミルトンは歌うだけでなく、アニメーションの中で「Bituca」というキャラクターとして登場し、Bitaとともに列車を動かす役割を担う。かつてトレス・ポンタスの少年だったビトゥーカが、今度は子どもたちを乗せて季節の旅へ出る。その光景は、なんとも美しい。ここにある列車は、もはや喪失だけを運ばない。子どもたちの想像力、季節の変化、自然への親しみ、歌うことの喜びを運んでいる。若いころのミルトンが列車の音を見つめていたとすれば、晩年のミルトンは、列車の機関士のように、次の世代を音楽の旅へ連れていく。 

 この変化は、彼のキャリア全体を思わせる。ミルトンの歌は、いつも過去へ戻るだけではない。記憶を未来へ渡す。失われたものを悼みながら、次の誰かに歌を手渡す。その意味で「Trem das Estações」は、子ども向けの楽曲でありながら、ミルトンと鉄道というテーマの終章にふさわしい温かさを持っている。

列車は走り続ける

 こうしてたどっていくと、ミルトン・ナシメントの音楽における鉄道は、時代とともに意味を変えていくことがわかる。

 最初期の「Barulho de Trem」では、列車は風景であり、音であり、若いミルトンの目の前にある世界だった。
『Clube da Esquina』の「O Trem Azul」と「Trem de Doido」では、列車は若者たちの夢や不安を乗せ、ミナスの街角から外の世界へ走り出した。
「Ponta de Areia」では、鉄道は失われた共同体の記憶となり、廃線の痛みを通してブラジルの近代化の影を映した。
『Último Trem』では、列車は舞台の身体を動かす時間となった。
「Encontros e Despedidas」では、駅と列車は人生そのものになった。
「Trem de Ferro」では、ミルトンの声がブラジル文学とジョビンの鉄道へ接続した。
 そして「Trem das Estações」では、列車は子どもたちを季節の旅へ連れていく未来の乗り物になった。

 ミルトンにとって、列車はいつも「移動」の象徴である。けれど、それはただ遠くへ行くことではない。故郷を離れ、また故郷を思い出すこと。誰かと出会い、誰かと別れること。失われたものを悼み、それでも次の季節へ向かうこと。人生の駅で立ち止まり、また歩き出すこと。

 だから、ミルトンの列車は今も走っている。

 遠い汽笛が聞こえる。
 ミナスの山あいを抜ける風がある。
 誰もいない駅に、かつての人々の声が残っている。
 そしてその上を、ビトゥーカの声が静かに渡っていく。

 列車は、記憶を運ぶ。
 歌は、その記憶を未来へ運ぶ。
 ミルトン・ナシメントの音楽に耳を澄ませることは、消えてしまった線路の上に、もう一度列車の音を聴くことなのかもしれない。







▶︎映画『ビトゥーカ ミルトン・ナシメント フェアウェル・ツアー』
https://www.reallylikefilms.com/bituca

“神の声” と称される伝説的音楽家ミルトン・ナシメント、その半生と2022年最後のツアーに迫った圧巻のドキュメンタリー。ミルトンを崇拝する57名による証言と、本人のインタヴュー&ライブフッテージで綴る115分。


配給/リアリーライクフィルムズ、パルミラムーン
後援/駐日ブラジル大使館、ギマランイス・ホーザ文化院 
2026年7月3日(金)より、恵比寿ガーデンシネマ、109シネマズプレミアム新宿、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー

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