Mônica Salmaso 『Senhora das Canções – Um Tributo a Elizeth』
日曜の夜に、お酒を飲みながらモニカ・サウマーゾ(Mônica Salmaso)の歌をじっくりと聴く、というのは最高の幸せであり、贅沢なのではないだろうか。彼女の新作『Senhora das Canções – Um Tributo a Elizeth』を聴きながら、まず最初にナイロール・プロヴェータ(Nailor Proveta)のあたたかなクラリネットのトリルが聴こえ、しばらくしてモニカの穏やかで情緒に富んだ歌と、それを追いかけるようなテコ・カルドーゾ(Teco Cardoso)のフルートが耳にゆっくりと流れ込んでくる。曲は「Lembre-se」、モアシール・サントス(Moacir Santos)が作曲、ヴィニシウス・ヂ・モライス(Vinícius de Moraes)が作詞し、1963年にエリゼッチ・カルドーゾ(Elizeth Cardoso)が歌った古い曲。あまりに美しい旋律の流れと、モニカの歌を最大限に聴かせつつ細部まで妥協しないアレンジの妙技に心が惹かれる。つづく軽やかなサンバ(2)「Seresteiro」が流れると、込み上げるような想いとともに、冒頭のような多幸感を感じた。
ブラジルを代表する歌手であるモニカ・サウマーゾの新作は、サブタイトルからも分かるようにエリゼッチ・カルドーゾへのトリビュートとなっており、彼女が愛唱した歌を現代に瑞々しく甦らせる作品となっている。
ブラジル音楽を愛する人なら、エリゼッチ・カルドーゾの名前くらいは聞いたことがあるかもしれない。1920年生まれのエリゼッチは、家計を支えるために10歳から販売員、皮革縫製工、石鹸職人、美容師など様々な職で働き始めたが、ジャコー・ド・バンドリン(Jacob do Bandolim)が彼女の16歳の誕生日にその歌声を聴いたことをきっかけに、歌手として活動を開始し、その試みは(当初の父親の反対にも関わらず)成功。ついには“サンバ・カンサォンの女王”としての異名をとるまでの存在となった、まさにブラジル音楽界のレジェンドといえる存在である。
同じ歌手としてエリゼッチを敬愛していたモニカ・サウマーゾは、エリゼッチの生誕100周年となる2020年にトリビュートのプロジェクトを始めようとしたが、コロナ禍のために計画は延期となり、結果2022年にリオデジャネイロでショーを初演。このショーは2025年にも新たなシーズンを始めており、それが終わったタイミングでスタジオに入り今作を録音した。当初からバンドに参加していたカヴァキーニョ奏者のルシアーナ・ハベーリョ(Luciana Rabello)と7弦ギター奏マウリシオ・カヒーリョ(Mauricio Carrilho)は1980年代にエリゼッチと実際に共演していたミュージシャンで、モニカがリオデジャネイロのカーザ・ド・ショーロ(Casa do Choro)1を訪れた際にこの2人と会ったことが、このトリビュート企画の出発点となったようだ。
(3)「Carta de Poeta」は、バーデン・パウエル(Baden Powell)が作曲、パウロ・セーザル・ピニェイロ(Paulo César Pinheiro)が作詞した楽曲で、1970年にエリゼッチがアルバム『Falou e Disse』で録音した楽曲だ。タイトルは「詩人からの手紙」を意味し、愛や孤独、人生について語りかけるような詩が印象的。エリゼッチのレパートリーの中でも特に難しいとされる曲だが、モニカ・サウマーゾは大胆な音符の跳躍も難なく歌い、現代のディーヴァの貫禄を示す。
今作には、エリゼッチが録音したものではないが、彼女の音楽世界に共鳴する曲(8)「Nossa Senhora do Silêncio」(マウリシオ・カヒーリョ作曲)と、(11)「De Bem Com o Amor」(ルシアーナ・ハベーリョ作曲)が収録されている。両曲ともに作詞はパウロ・セーザル・ピニェイロで、モニカ・サウマーゾは両曲の収録について「特にエリゼッチが歌いたかったであろうことを考えると、彼らの曲をレパートリーに含めることは美しいと思いました」と語っている。
Mônica Salmaso プロフィール
モニカ・サルマーゾは、1971年ブラジル・サンパウロ生まれの歌手。サンバ、ショーロ、MPBを軸に、ブラジルの豊かな歌曲文化を丁寧に掘り起こしてきた、現代ブラジルを代表する女性ヴォーカリストの一人。繊細でありながら芯の強い歌声と、歌詞のニュアンスを大切にした端正な表現、そして知られざる名曲にも光を当てる選曲で高く評価されている。
1989年、演出家ガブリエル・ヴィレラ(Gabriel Villela)による舞台『O Concílio do Amor』への出演をきっかけにプロとしてのキャリアを開始。1995年にはギタリストのパウロ・ベリナチ(Paulo Bellinati)とともに、バーデン・パウエル(Baden Powell)とヴィニシウス・ヂ・モライス(Vinicius de Moraes)の『Os Afro-Sambas』を全曲取り上げたアルバム『Afro-Sambas』を発表した。これがソロ・アルバムとしての出発点となり、1997年にはPrêmio SharpでMPB新人賞にノミネートされている。
1998年の『Trampolim』、1999年の『Voadeira』によって評価を高め、後者ではAPCA(サンパウロ美術批評家協会)の最優秀女性歌手賞を受賞。また、1999年にはPrêmio Visa MPBのヴォーカル部門で優勝した。
2004年にはトン・ゼー(Tom Zé)の楽曲などを取り上げた『Iaiá』を発表。2007年の『Noites de Gala, Samba na Rua』ではシコ・ブアルキ(Chico Buarque)の作品だけを取り上げ、Grupo Pau Brasilと共演し、同作はラテン・グラミー賞の最優秀MPBアルバム部門にノミネートされた。
2011年には、サックス/フルート奏者のテコ・カルドーゾ(Teco Cardoso)とピアニストのネルソン・アユレス(Nelson Ayres)とのトリオで『Alma Lírica Brasileira』を発表。翌2012年、同作によってPrêmio da Música Brasileiraの最優秀女性歌手賞を受賞した。2013年には同作のDVDでも同賞を受賞している。
2014年の『Corpo de Baile』では、作曲家ギンガ(Guinga)と作詞家パウロ・セーザル・ピニェイロ(Paulo César Pinheiro)の作品を取り上げ、翌2015年にPrêmio da Música Brasileiraの最優秀女性歌手賞を受賞。収録曲「Sedutora」も同賞の年間最優秀楽曲に選ばれた。2017年の『Caipira』ではブラジル内陸部の音楽文化にも焦点を広げ、2018年には同作で最優秀女性歌手賞と最優秀アルバム賞(Regional部門)を受賞している。
モニカ・サウマーゾはブラジル音楽を代表する作曲家・演奏家との共演も多く、他アーティストの作品にも数多くゲスト参加している。2019年にはギンガ、テコ・カルドーゾ、ナイロール・プロヴェータと日本ツアーを行い、その模様は『Japan Tour』として2021年に作品化された。
2020年には、コロナ禍においてアーティスト同士をオンラインでつなぐ企画「Ô de Casas」を開始。170回を超える対話・演奏を公開し、ブラジル国内だけでなく海外の音楽家とも交流を続けた。この活動は後のステージ作品『Minha Casa』へと発展し、2024年から全国ツアーを行っている。
2022年にはドリ・カイミ(Dori Caymmi)との共演作『Canto Sedutor』を発表。2022~2023年にはシコ・ブアルキの『Que Tal um Samba?』ツアーにもゲストとして参加し、ブラジル国内60公演、ポルトガル5公演を行った。2025年には『Minha Casa』をアルバムとして発表している。
2026年現在、Salmasoはショーロ、サンバ、MPB、ブラジル歌曲の伝統を現代へと受け渡す歌手として活動している。特に、過去の名曲を単純に懐古的に再現するのではなく、作品の背景や作曲家との関係を掘り下げ、現在の優れた演奏家たちと新たなアンサンブルとして蘇らせる姿勢が大きな特徴である。
Mônica Salmaso – vocal
Luciana Rabello – cavaquinho
Mauricio Carrilho – 7-string guitar
Paulo Aragão – guitar
Aquiles Moraes – trumpet, flugelhorn
Magno Julio – percussion
Marcus Thadeu – percussion
Teco Cardoso – flute
Nailor Proveta – clarinet
- カーザ・ド・ショーロ(Casa do Choro)…ブラジル固有の伝統的な器楽・音楽であるショーロの保存、普及、教育を目的として2015年に一般公開された文化施設および音楽学校。 ↩︎