「ニュースクール」の幕開けを高らかに宣言した伝説のクルー
HipHopにはクルーと呼ばれるチームが数多く存在する。古くはマーリーマール(Marley Marl)率いるザ・ジュース・クルー(The Juice Crew)から、ノトーリアス・B.I.G(Notorius B.I.G.)のジュニア・マフィア(Junior M.A.F.I.A)とトゥパック(2PAC)率いるアウトロウズ(Outlowz)は悲しい抗争を生み出した。あのエミネム(Eminem)も元々はD12というクルーのメンバーであるし、最近ではドレイク(Drake)を輩出したヤングマニー(Young Money)も記憶に新しいところだ。このようにHipHop史を語るうえで切り離すことの出来ない“クルー”の存在の中で一際異彩を放つのが、ネイティブ・タン(Native Tongue)である。
ニュースクールにフィジカル要素を持ち込んだLONS
本連載も8回目。既にここまで読んでいただいている読者はニュースクール、特にネイティブ・タン界隈に共通する特徴的なサンプリングとジャジーなサウンドを感じ取っていただいているかもしれない。実際にATCQ(ア・トライブ・コールド・クエスト)やCommon(コモン)、Beatnuts(ビートナッツ)などはそのような特徴をまさに体現していたユニットと言っていいだろう。
そんなネイティブ・タンにおいて「異色」であり、「異端」ともいえるユニット、それが今回取り上げるリーダーズ・オブ・ザ・ニュー・スクール(Leaders Of the New School、以下LONS)だ。
クールなサウンドを打ち出していた当時のニュースクールにおいて、これだけフィジカル重視の前のめりなマイクリレーを敢行したユニットも珍しい。「これが俺たちのニュースクールだ!」と言わんばかりの熱量で席巻した問題児達。その中心にいたのは他でもないラップモンスター、バスタ・ライムス(Busta Rhymes)である。
あのダミ声で捲し立てる強烈な個性を持つラップが彼らを一躍スターダムへ押し上げ、そしてその個性が故にLONSは2枚のアルバムを残して、その活動を終えることになる。
ATCQのバックアップとネイティブ・タンにおけるバスタの存在
パブリック・エネミー(Public Enemy)のチャックDに命名されたLONSの面々はレーベルのコンピレーションなどでのお披露目はあったものの、注目されたのはネイティブ・タンの中心人物で既に人気が確立されていたATCQの「Scenario」への参加が始まりと言っていいだろう。本曲の2ヶ月前の91年7月に1作目の『A Future Without a Past…』をリリースしている彼らであるが、本曲への参加が人気を獲得する契機となったことは想像に難くない。
なお、ATCQの次作、93年の『Midnight Marauders』の「Oh My God」ではバスタのみが客演で参加。この時点で既にLONS内の不和や、バスタ1強の構図が出来上がっていたのではないかと思われるが、一方で、この異色と言っていいラップモンスター、バスタをネイティブ・タンおよびATCQはどう見ていたのだろうか?
ここからは憶測でしかないが、キャラクターとしてのバスタに対して商業的価値を見出していたのではと考えている。
実際に上述の「Oh My God」においても、バスタがラップするのはフック部分の「Oh My God」のみ。才能の無駄使いとしか言いようがない贅沢な起用はATCQのQ-Tipによる計画的犯行にも思えてくる。
「あの圧倒的な個性とハイテンションがMVに映える」と。
もちろんそのラップスキルで今なお最前線にいるバスタであり、才能は証明済みであるわけだが、ネイティブ・タン内においてはそういう立ち位置だったのではないだろうか。
本当にバスタ1強だったのか?
2枚目にして最後の作品『T.I.M.E.』
そんな中、今回取り上げるのはLONSの2枚目で最後の作品『T.I.M.E.』である。
1枚目の明るく軽快なダンスナンバーは影を潜め、全体的に硬派なサウンドとラップの構成
は、結果としてバスタのあの個性的なダミ声を生かす形となった。
シングルカットされた(8)「What’s Next」はもはやバスタの独壇場とも言っていい。MVでもあの持ち前のハイテンションで随所に存在感を見せる姿はやはり1強の様相を呈している。
しかし、前作に比べより強力になったビートも相まって、各のメンバーのフロウもかなりレベルが上がっている印象を受ける。
それを非常によく表しているのは(6)「A Quarter Cutthroat」だ。比較的BPM早めのシンプルなループを隙間ないラップで捲し立てる構成を全員が完璧に乗りこなしている。
中でも3人目にマイクを取るカット・モニター・マイロ(Cut Monitor Milo)のラップがかなり秀逸。ジャマイカ系のバスタに負けないレゲエマナーに乗っ取ったラップを披露しており、この曲に関して言えばマイロの方が1枚上手と言っていいだろう。それぞれが一つ一つのリリックに余裕と自信を覗かせるこの曲はLONSが充実したキャリアを重ねてきたことを示す好曲であり、ラップスキルにおいてはバスタ一強ではなかったことの証左ともいえる。
結果、LONSが本作を最後に解散をしたのは上述の通り。解散の理由は、バスタのみに注目が集まったことによるメンバーの不和と言われている。彼らがこのまま活動を続けていったらどうなっていたのだろうか?
「バスタ・ライムスがいたユニット」で片付けてはならないスキルフルなラッパーが集まったLONS。
本稿が彼らの正しい理解の一助になれば幸いである。
プロフィール
チャーリー・ブラウン(Charlie Brown)、ディンコ・D(Dinco D)、カット・モニター・マイロ、バスタ・ライムスの4人組ユニット。
パブリック・エネミーのオープニングアクトに抜擢された後、エレクトラ・レコードのコンピレーション『Rubáiyát: Elektra’s 40th Anniversary』に「Mt. Airy Groove」という曲で初登場。その後、ジャングル・ブラザーズ、デ・ラ・ソウル、ア・トライブ・コールド・クエスト、ブラック・シープらを擁する人気ヒップホップ集団ネイティブ・タンに合流した。
1991年、バスタ・ライムス、ディンコ・D、チャーリー・ブラウンがア・トライブ・コールド・クエストのヒット・シングル「シナリオ」にゲスト出演。
同年リリースされたデビュー アルバム『A Future Without a Past…』からは「Case of the P.T.A.」「Sobb Story」「The International Zone Coaster」などがヒット、
2 枚目にして最後のアルバムは『T.I.M.E. 』は 1993 年にリリースされ、ファンに人気のシングル「What’s Next」「Time Will Tell」「Classic Materials」を生み出した。
時間が経つにつれて、ファンや批評家はグループとしてのLONSよりもソロアーティストとしてのバスタ・ライムスに注目するようになり、グループは解散。チャーリー・ブラウン、ディンコ・D、マイロが個々に成功を収めるのは限られたものであったが、バスタ・ライムスの人気は高まり続けた。
1996年のライムズのデビューアルバム『ザ・カミング』の「キープ・イット・ムーヴィン」にはLONSが出演しており、これがグループとしてコラボレーションする最後の機会となった。
2012年7月、ブルックリン・ヒップホップ・フェスティバルのバスタ・ライムスのヘッドライナー・セットのステージで再会し「Case of the P.T.A.」を披露。その後、2015年にバスタ・ライムスのミックステープ『The Return Of The Dragon: The Abstract Went On Vacation』の収録曲「We Home」で再結成した。
ディンコ D は、2016 年 11 月 4 日にデビューソロアルバム『カメオ・フローズ』をリリース。このアルバムには、メンバーのチャーリー・ブラウンとカット・モニター・マイロが出演している。(Wikipediaより)