ロサンゼルスのジャズ文化の発信拠点であり、同時にあらゆるクリエイティヴなインスピレーションの源であったジャズクラブ・ブルーホエール(Bluewhale)1は、かつて世界を覆った、あの狂乱のような新型コロナ禍の影響で2020年末に閉店を余儀なくされた。リトル・トーキョーとして知られるLAのダウンタウンで韓国出身の元ジャズシンガーであるジュン・リー(Joon Lee)が2009年に創業したこの店は、自由で開かれた資本主義社会のなかにありながら、商業至上主義に陥らずに、新しい芸術や文化の発信拠点として頑固なまでにその独自路線を貫き、数多くの音楽家たちからリスペクトされていた。
それでも文化は、芸術は、音楽は、ただではくたばらない。
ブルーホエールおよびジュン・リーは2024年末に再起を宣言。アトウォータービレッジ地区カシータス通り3229番地(3229 Casitas Ave, Los Angeles, CA 90039-2205)に場所を移し、新たに創造の場をつくることにした。商業的な成功よりも、芸術的・体験的な新しさを優先する精神は変わらず、何よりもアーティストと観客の一体感を重視。文化自体を育みながら、その震源地として、新生・シロナガスクジラ(=Bluewhale)をその眠りから醒ませようとしている。
サックス奏者ダニエル・ロテム、工事中のブルーホエールでのソロ録音
今回紹介するサックス奏者ダニエル・ロテム(Daniel Rotem)の新作『Solo II – Under Construction at Bluewhale』は、“未完成の空間そのものを楽器化する”というコンセプトのもと、その名のとおり工事中の新しいブルーホエールで録音された。全6曲、約30分間の本作では、テナーサックス(一部でソプラノサックス)を手に、空間を美しい音楽で満たすアーティストの姿を克明に捉えている。
「ジュンは私にとって、そして数え切れないほど多くの人々にとってのヒーローであり、同時にとても大切な親友でもあります」ダニエル・ロテムは語る。「2024年11月にオープンハウスでソロ演奏を依頼された時は、身に余る光栄でした。そして、その時に新しいスペースでソロサックスアルバムを録音するというアイデアが芽生えたのです」
その演奏はとてもナチュラルで、ときに神秘的ですらある。録音はシンプルな機材で行われ、空間の残響をそのまま活かしている。彼はサックス1本で音楽を編んでいく。それはまるで、空間との対話のようだ。
アルバムの半分は彼のオリジナル、残りの半分はカヴァーで構成。
ビリー・ホリデイが歌った(2)「God Bless the Child」。今作中唯一ソプラノサックスで演奏されるセロニアス・モンク作の(3)「Pannonica2」といったカヴァーも素晴らしいが、特筆すべきは彼のオリジナルの豊かさだ。(1)「A Peace That Starts Within」、(4)「Starting from the Smallest Pieces」など、そのタイトルからも分かるとおり精神的に満ちており、ポジティヴな感覚をもたらしてくれる。多くの曲はウェットな音響を持った広いホールで演奏され、その豊かな響きも相まって至福の音楽体験を与えてくれる。
(5)「B Team」は完全な即興演奏だという。長年培われた技術と、その場のインスピレーションだけを頼りに演奏するこの曲は、ブルーホエールを支えてきたマスタリング・エンジニアや映像撮影のチームへの大きな感謝が込められている。
Daniel Rotem 略歴
ダニエル・ロテムは、イスラエルの地中海沿岸で生まれ育ち、現在ロサンゼルスを拠点とするサクソフォニスト/作編曲家。10代でテナー・サックスを始め、ジャズの自由さと表現力に魅了された。
イスラエルのテルマ・イェリン芸術高校およびリモン音楽学校で学び、奨学金を得てバークリー音楽大学を卒業した後、セロニアス・モンク・ジャズ・パフォーマンス・インスティテュート(現ハービー・ハンコック・インスティテュート)で研鑽を積んだ。
「リスナーであり演奏者でもある」を信念とし、独自の音楽を探求。
これまでにハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、スティーヴィー・ワンダー、テリ・ライン・キャリントン、ビリー・チャイルズ、ディー・ディー・ブリッジウォーターら著名アーティストと共演・録音を重ね、2016年にはホワイトハウスでのインターナショナル・ジャズ・デイに出演。モントレー・ジャズ・フェスティバル、プレイボーイ・ジャズ・フェスティバル、赤海ジャズ・フェスティバルをはじめ、リンカーン・センター、ケネディ・センター、ハリウッド・ボウル、ブルーホエールなど世界的な舞台で演奏する一方、教育者としてもスタンフォード・ジャズ・キャンプ、LACHSA(ロサンゼルス郡芸術高校)、オクシデンタル・カレッジなどで後進を指導している。
これまでに7枚のアルバムをリリースしており、完全ソロとしては2020年の『Solo』に続き、本作『Solo II – Under Construction at Bluewhale』は2作目となる。
ドキュメンタリー映画『Mentally Al』(2020年)のスコアを手がけるなど、作曲家としても活躍中。
Daniel Rotem – tenor saxophone (except 3), soprano saxophone (3)
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- ブルーホエール(Bluewhale)…ジャズ・ヴォーカリストのジュン・リー(Joon Lee)によって2009年に創業された、ロサンゼルスのダウンタウンにあるウェラープラザの最上階にあったジャズクラブ。COVID-19の影響により、2020年12月31日に閉店を発表。 ↩︎
- Pannonica…パノニカとは、ロスチャイルド家出身でジャズのパトロンとして知られたパノニカ・ド・コーニグスワーター(Pannonica de Koenigswarter, 1913 – 1988, 通称”ニカ男爵夫人”)を指す。ジャズに惹かれ、ジャズ・ミュージシャンのために多大な献身的支援を行なった。この曲はセロニアス・モンクが彼女に捧げる曲として作曲した。 ↩︎