天才ベーシストの夢の結晶、SSWとしての新たな出発
10代前半からその驚異的な技巧と音楽性で注目された、ブラジル出身のベーシスト/作曲家ミシェル・ピポキーニャ(Michael Pipoquinha)。これまではベーシストとして自身のリーダー作だけでなく数多くの作品に参加し活躍してきた彼だが、30歳を迎える2026年の新譜『Minha Pele』は、ベーシストのみならず、シンガーソングライターとしての進化を存分に感じさせる明確な転換点だ。
ミシェル・ピポキーニャは今作では作曲やベース演奏だけでなく、初めて全面的にヴォーカルを担当。自身がMPBのシンガーソングライターの系譜や伝統を受け継いでいることを証明してみせた。そして、今作には彼の新たな出発を祝うように実に多数の豪華ゲストが参加しているが、とりわけ目立つ名前はリチャード・ボナ(Richard Bona)、ヴィクター・ウッテン(Victor Wooten)、ジョン・パティトゥッチ(John Patitucci)だろう。一部の楽曲ではミシェルがベースを弾くのではなく、この世界的な“ベースヒーロー”たちがベースを弾くことによって、ピポキーニャは少年の頃の憧れを現実のものに変えた。
アルバムのオープニングを飾る(1)「Mamãe Luiza」に参加するのはカメルーン出身のベーシスト/シンガーのリチャード・ボナ。作曲はミシェル・ピポキーニャのみのクレジットだが、まるでリチャード・ボナの楽曲かのようなアフリカン・ネイティヴな印象で、とにかく素晴らしい。リズムや和声感覚からして、おそらくは作曲段階からリチャード・ボナを想定して書かれたものなのだろう。
『私の肌』というタイトルに社会的なテーマも反映
アルバムにはこの3人のほかにも、ブラジルの現代音楽シーンからシェニア・フランサ(Xênia França)、ビア・フェヘイラ(Bia Ferreira)、ジュリアナ・リニャレス(Juliana Linhares)、ヴァネッサ・モレーノ(Vanessa Moreno)、メストリーニョ(Mestrinho)、ペドロ・マルチンス(Pedro Martins)らが参加。MPB、ブラジリアン・ジャズ、ファンク、ブラジル北東部の伝統音楽など、ピポキーニャがこれまで培ってきた多彩な音楽的背景が反映された全14曲が収録されている。
アルバムのタイトル『Minha Pele』は、ポルトガル語で「私の肌」を意味する。ピポキーニャが本作のために最初に書いたという表題曲は、自身の肌の色や、黒人としてブラジルで生きてきた経験を題材としている。彼はインタビューで、根強く残る人種差別やブラジル北東部出身者に対する偏見について、以前から音楽を通じて表現したいと考えていたことを明かしている。アルバムにはそうした社会的なテーマに加え、家族への愛情、恋愛、自身の音楽的ルーツなど、彼の人生に深く関わる題材が取り上げられている。
その表題曲(4)「Minha Pele」には、米国出身ベーシストのヴィクター・ウッテンと、社会的なメッセージを込めた楽曲で知られるブラジルのSSWビア・フェヘイラが参加。
チック・コリアのバンドなどで活躍した米国出身のベーシスト、ジョン・パティトゥッチは(10)「Menino Moleque」に参加。アフロブラジル特有のグルーヴ、凝ったアレンジ、2本のベースの絡み合いが楽しい。
ジャヴァン「Lugar Comum」や、ムニール・ホッスンの参加も象徴的
アルバムの唯一のカヴァー曲として収録された、ジャヴァン(Djavan)の(2)「Lugar Comum」も興味深い。ピポキーニャはブラジル音楽の魅力の中心に歌曲とその作者たちがいると語っており、ジャヴァンのほか、ジルベルト・ジル(Gilberto Gil)、ドミンギーニョス(Dominguinhos)、ルイス・ゴンザーガ(Luiz Gonzaga)らを自身の音楽的なヒーローとして挙げている。ジャヴァンのこの曲からは、彼が本作で目指した“歌曲の作者”としての音楽の方向性がうかがえる。
また、ベーシスト/ギタリスト/SSWとして唯一無二の音楽観を確立するムニール・ホッスン(Munir Hossn)が(5)「Que Papo É Esse?」にギタリストとして参加しているのも象徴的だ。前出のレジェンドクラスのベーシストたちとは異なり、同じブラジル出身でもう少し世代も近い(ムニールは1981年生まれ、ピポキーニャは1996年生まれ)ムニールは、ピポキーニャにとってロールモデルのような存在なのではないだろうか。
ピポキーニャ自身は、本作の音楽性を「アフロ・グルーヴ」と表現している。ブラジル北東部セアラー州に生まれ育った彼にとって、アフリカにルーツを持つリズムや北東部の伝統音楽は、自身のアイデンティティとも深く結びついている。そうした音楽的な背景に、ジャズやファンク、洗練されたMPBのハーモニーが加わり、技巧的な演奏と親しみやすい歌が自然に共存している。
アルバムには、母親に捧げた(1)「Mamãe Luiza」に加え、父親への感謝を歌った(11)「Papai Gratidão」も収録されている。ベーシストとして早くから才能を開花させ、世界的な音楽家たちとの共演を重ねてきたピポキーニャが、30歳という節目を前に自身のルーツや家族、これまでの人生を歌にした本作は、彼の今後の活動に新たな可能性を感じさせる充実した作品だ。
Michael Pipoquinha プロフィール
ミシェル・ピポキーニャは、1996年にブラジル北東部セアラー州リモエイロ・ド・ノルテで生まれたベーシスト/歌手/作曲家。音楽一家に育ち、10歳頃に父親でベーシストのエリスヴァン・シルヴァ(Elisvan Silva)からアコースティック・ギターを与えられ、演奏を始めた。その後、父親の指導や動画教材を通じてベースを習得。2007年、わずか11歳で公の場での演奏を開始し、卓越した演奏技術で早くから注目を集めた。
2008年には、憧れのベーシストだったアルトゥール・マイア(Arthur Maia)と初共演。2012年にはモダン・ジャズ・バンドのBR Trioに参加し、ウルグアイやアルゼンチンなどで公演を行った。2015年にはドイツ・ケルンでWDRビッグバンドと共演し、同公演にはジェイコブ・コリアー(Jacob Collier)も出演している。
影響を受けたベーシストとして、ジャコ・パストリアス(Jaco Pastorius)、ヴィクター・ウッテン(Victor Wooten)、アルトゥール・マイア、ニコ・アスンサォン(Nico Assumpção)らが挙げられる。
Michael Pipoquinha – bass, vocals
Thiago Almeida – keyboards
Josué Lopez – saxophone
Renato Galv Santos – drums
Felipe Viegas – keyboards
Dennys Silva – percussion
Makson Kennedy – guitar
Guests :
Richard Bona – bass, vocals (1)
Xênia França – vocals (3)
Victor Wooten – bass (4)
Bia Ferreira – vocals (4)
Juliana Linhares – vocals (5)
Munir Hossn – guitar (5)
Mestrinho – accordion (6)
Vanessa Moreno – vocals (7)
Bruna Moraes – vocals (8)
Pedro Martins – guitar (8)
John Patitucci – bass (10)