ロー・ボルジェスが残した最後の贈り物|ローが生前完成させていたアルバムが発表に

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配給/リアリーライクフィルムズ、パルミラムーン
後援/駐日ブラジル大使館、ギマランイス・ホーザ文化院 
2026年7月3日(金)より、恵比寿ガーデンシネマ、109シネマズプレミアム新宿、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー

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Foto: Flávio Charchar / Divulgação 

ロー・ボルジェス、最後のアルバム『A estrada』


「ついに僕は辿り着いた
 いたいと願った場所に
 約束は果たし
 使命を全うした
 そして安らかに旅立つ」「Última parada(終点)より」

 ロー・ボルジェス(Lô Borges)は、最後のアルバムとなった『A estrada(道)』の中でそう歌っている。曲のタイトルは「Última parada(終点)」。その言葉はあまりにも静かで、あまりにも澄んでいて、彼自身の旅立ちをあらかじめ見つめていたかのように響く。

 もちろん、彼はこのアルバムが本当に「最後の一枚」になると知っていたわけではないだろう。2023年、兄マルシオ・ボルジェスとともに本作の構想を始めたとき、二人が思い描いていたのは、長年にわたる創作の歩みを締めくくる作品だった。

 だが、結果として『A estrada』は、それ以上の意味を帯びることになった。
 これは一人の音楽家が、自らの人生という道を歩ききった後に残した、最後の贈り物である。

 ロー・ボルジェス、本名サロマォン・ボルジェス・フィーリョ(Salomão Borges Filho)。1952年1月10日に生まれた彼は、2025年11月2日、73歳で突然この世を去った。ブラジル音楽に不滅の足跡を刻んだシンガーソングライターであり、マルチプレイヤー。親しみを込めて「ロー」と呼ばれてきたその人は、もう肉体としてはここにいない。

 しかし、彼はこのアルバムを完成させていた。
 その事実が、いま『A estrada』を聴く私たちの胸に、ひときわ深い余韻を残す。

兄弟で歩いた長い道

 ローと兄マルシオ・ボルジェス(Marcio Borges)のパートナーシップは、1970年代から続いてきた。二人は「Tudo que você podia ser(なれたかもしれないすべて)」や「Um girassol da cor de seu cabelo(君の髪の色のひまわり)」といった、ブラジル音楽史に残る名曲を生み出してきた。

 『A estrada』は、その兄弟の創作の旅路における「終着点」として構想された作品だった。

 ローとマルシオの名を並べるとき、そこには単なる作曲家と作詞家の関係以上のものが浮かび上がる。ミナスジェライスの空気、青春の記憶、家族の時間、そして音楽によって世界を見つめるまなざし。二人の作品には、いつもそうしたものが静かに流れていた。

 だからこそ『A estrada』というタイトルは、あまりにもふさわしい。
 これは道路のことだけを指しているのではない。
 人生の道であり、記憶の道であり、兄弟がともに歩いてきた創作の道でもある。

奇をてらわず、ただ深く

 Deckレコードからリリースされた本作は、全10曲で構成されている。5月29日に先行シングルとして発表された「Campo Alegre KM 500 mil」は、アルバム全体の姿を示すには、やや意外な入口だったかもしれない。

 けれど、アルバムを通して聴けば、『A estrada』の核にあるものはすぐに伝わってくる。そこにあるのは、誰かを驚かせようとする身ぶりではない。時代に寄せようとする焦りでもない。ロー・ボルジェスという音楽家が、最後まで自分の音楽に誠実であろうとした、その静かな姿勢である。

 本作には、派手な演出よりも、澄んだひらめきがある。
 大きな身ぶりよりも、長く音楽とともに生きてきた人だけが持つ、柔らかな確信がある。

 冒頭を飾る「Pousada(宿)」は、その最良の例だ。ロー特有の旋律のDNAを宿した一曲であり、さりげない佇まいの中に、彼の音楽の魅力が凝縮されている。耳に残るのに、押しつけがましくない。懐かしいのに、古びていない。ローのメロディーには、そうした不思議な呼吸がある。

「到着」という名の最後の風景

 アルバムの最後に置かれた「Chegada(到着)」は、本作の中でもとりわけ印象深い。セルタネージョ、つまりブラジルのカントリー音楽を思わせる響きを持つこの曲は、ローのディスコグラフィーにおいても珍しい質感を帯びている。

 その大きな理由は、ブラジル農村部に伝わるカイピーラ音楽の形式、モーダ・ジ・ヴィオラに接近していることだ。タヴィーニョ・モウラ(Tavinho Moura)が10弦ヴィオラを奏で、普段はそれほど多くの歌詞を書かないロー自身が手がけた言葉を、二人の声が重なり合いながら歌う。

「僕はあの通りで生まれ、そこで生きた
 やがて道は続き
 その道を歩いてきた
 午前6時
 太陽はもう昇っていた
 呼吸することを学ぶ
 僕らの惑星
 ブルー」

 その歌声は、まるでセルタンの吟遊詩人たちのようだ。乾いた大地の上に立ちながら、遠くの空を見ている。素朴でありながら、どこか宇宙的でもある。

「歌が先にやってきて
 そして僕は生まれた」

 この一節は、ロー・ボルジェスという音楽家の本質を言い当てているようにも聞こえる。彼にとって音楽は、あとから選び取った職業ではなかったのかもしれない。むしろ、彼より先にそこにあり、彼をこの世界へ導いたものだったのではないか。そんな想像を誘う。

フォークの光、ビートルズの影

 『A estrada』の多くの楽曲には、フォークミュージックの空気が漂っている。なかでも「Sem saída(出口なし)」は、アルバムのハイライトのひとつだ。

 2025年にミナスジェライス州ベロオリゾンテで録音されたこの曲では、ロー自身が、エンヒキ・マテウス(Henrique Matheus)のギター、チアゴ・コヘア(Thiago Corrêa)のベースとキーボードとともに音楽プロデュースを手がけている。

 印象的なのは、「Here Comes the Sun」を思わせるインストゥルメンタルの響きである。そこには、ローが生涯抱き続けたビートルズへの愛がにじんでいる。

 だが、それは単なる引用や模倣ではない。ローの音楽において、ビートルズの影はいつも、記憶の奥から差し込む光のように存在している。甘く、懐かしく、少しだけまぶしい。けれど、その光はミナスの風景の中で、いつのまにかロー自身の色に染まっていく。

このアルバムは、道についての作品である

『A estrada』を貫いているのは、「道」というイメージだ。

「Sem saída(出口なし)」
「Travessia do deserto(砂漠の横断)」
「18 rodas(18個の車輪)」
「Um velho sentado na beira da estrada(道端に座る老人)」
 そして「Última parada(終点)」。

 これらのタイトルだけを並べても、本作が単なる曲集ではなく、ひとつのコンセプトを持ったアルバムであることが見えてくる。

 ここで描かれる道は、地図の上に引かれた線ではない。
 歩いてきた時間であり、別れであり、記憶であり、到着であり、そして終わりである。

 ローはその道を、声高に語らない。
 ただ歩いてきた者だけが知っている静けさで、歌にする。

「終わりのずっと向こう側」から、本当の終わりへ

 『A estrada』は、ロー・ボルジェスとマルシオ・ボルジェスのパートナーシップに基づくディスコグラフィーにおいて、3枚目のアルバムにあたる。前作には『Harmonia』(2007年)と『Muito além do fim(終わりのずっと向こう側)』(2021年)がある。

 だが、本作はそのどちらとも違う。

 『Muito além do fim』が「終わりの向こう」を見つめる作品だったとすれば、『A estrada』は、ついにその終わりの地点に立っている。しかもそこには、悲壮感よりも、ひとつの清らかな受容がある。

 マルコス・スザーノのパーカッション、ホビンソン・マトスのドラムが刻むリズムに支えられながら、アルバムは過去を振り返り、現在を見つめ、やがて静かに終点へ向かう。

最後に残されたもの

『A estrada』は、ロー・ボルジェスがアーティストとしての使命を果たしたことを証明する作品である。だが、それだけではない。

 これは、彼が尊厳と一貫性をもって、自らの人生の道を歩ききったことを告げるアルバムでもある。

 サロマォン・ボルジェス・フィーリョの旅路。その終着点には、派手な幕切れも、過剰な演出もない。ただ、音楽への深い献身がある。

 ローは歌を残した。
 道を残した。
 そして、その道の先に、私たちがこれから何度でも立ち戻ることのできる場所を残した。

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『A estrada』を読み解く3つの道標

 最後に、このアルバムを聴くうえで、とりわけ重要な3曲を挙げておきたい。いずれも『A estrada』という作品の核にある「道」「到着」「終点」というイメージを、それぞれ異なる角度から照らし出している。

「Última parada(終点)」

使命を果たした者の、静かな旅立ち

 まず触れずにはいられないのが、「Última parada(終点)」である。

 この曲でローは、「ついに辿り着いた」「約束を果たした」「使命を全うした」と歌う。その言葉は、人生の終わりを悲劇としてではなく、ひとつの旅路の完了として受け止めているように響く。

 もちろん、彼が自らの死を予見していたと断言することはできない。けれど、彼の旅立ちを知ったあとでこの曲を聴くと、その歌詞はあまりにも深く胸に届く。そこにあるのは、悔いや未練ではない。やるべきことをやり終えた者だけがたどり着く、澄んだ安らぎである。

「終点」という言葉は、ここでは単なる停止を意味しない。むしろ、歩み続けてきた人生の道が、ようやく静かな場所に着いたことを告げている。ロー・ボルジェスの最後のアルバムに、この曲が収められていること。その事実だけで、『A estrada』は遺作としての強い光を帯びる。

「Chegada(到着)」

青い惑星に生まれ、道を歩き始める

「Última parada」が終点を見つめる曲だとすれば、「Chegada(到着)」は、その反対側にある始まりの記憶を歌っている。

 歌の中でローは、自身が生まれ育った通りを思い起こし、そこから続いていった道を振り返る。午前6時、太陽が昇り、青い惑星で呼吸を覚える。そこに描かれているのは、一人の人間がこの世界に「到着」した瞬間であり、同時に、音楽家ロー・ボルジェスの長い旅の出発点でもある。

 印象的なのは、「歌が先にやってきて、そして僕は生まれた」という感覚である。まるで音楽のほうが彼より先にこの世にあり、その音楽に導かれるようにローが生まれてきたかのようだ。この一節には、彼の人生と音楽が切り離せないものであったことが、美しい比喩として刻まれている。

 また、この曲ではブラジルの伝統的な田舎唄、モーダ・ジ・ヴィオラの響きが大きな役割を果たしている。タヴィーニョ・モウラの10弦ヴィオラと、ローとの重なり合う歌声は、素朴でありながら深い郷愁を呼び起こす。そこにあるのは、単なる回顧ではない。自分がどこから来たのかを見つめ直し、その道のりをおおらかに肯定するまなざしである。

「Sem saída(出口なし)」

行き止まりの先に、なお続く道

「Sem saída(出口なし)」は、アルバムのタイトルである『A estrada』を、より実存的な方向へと押し広げる一曲である。

 タイトルは「出口なし」。それは道路上の行き止まりを思わせる言葉であると同時に、人生の途中で誰もが出会う迷いや閉塞、先の見えない時間をも連想させる。道を歩いているはずなのに、どこにも抜けられない。進んでいるのに、出口が見えない。そんな感覚が、この曲には静かに宿っている。

 しかし、この曲の響きは決して重苦しいだけではない。むしろ、彼が愛したビートルズを思わせる温かなサウンドが、迷いや行き止まりをやわらかく包み込んでいる。そこには、人生の困難を声高に嘆くのではなく、それもまた道の一部として受け入れていくような穏やかさがある。

「Sem saída」は、文字どおりの道路と、比喩としての人生の道を重ね合わせることで、『A estrada』全体のコンセプトを深めている。道はいつも一直線に開けているわけではない。時には閉ざされ、時には遠回りを強いられ、時には出口を失う。それでも人は歩き続ける。その歩みそのものを、ローは静かに肯定しているように聞こえる。

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