パレスチナ出身カーヌーン奏者フィラス・ズレイクが放つ現代アラビック・ジャズの傑作『Tarabesque』

Firas Zreik - Tarabesque

カーヌーンが支配する、現代アラビック・ジャズの傑作

「カーヌーン」という楽器名を聞いて、すぐにピンとくる人は多くはないかもしれない。しかし、ひとたびその音色に触れたなら、誰もが瞬く間にその魅力の虜になってしまうはずだ。

カーヌーン(アラビア語:قانون、ペルシア語:قانون、qānūn、トルコ語:kanun)はアラブの伝統的な弦楽器で、木製の台形の箱(共鳴体)に多数張られた弦をピックで弾いて演奏する、アラブの古典音楽には欠かせないポピュラーな楽器である。「ツィター属」に分類され、日本の伝統楽器である箏の遠い親戚だ。

今回紹介するのは、1995年にハイファで生まれたパレスチナ人で、米国の名門バークリー音楽大学でジャズを学んだカーヌーン奏者フィラス・ズレイク(Firas Zreik)。近年の音楽はますますグローバル化が進み、カーヌーンでジャズを演奏する音楽家も増えているが、そんな中でもカーヌーンを即興音楽の主役へ押し上げた重要人物の一人とみなされている。

そんなフィラス・ズレイクの2026年の新譜『Tarabesque』は、カーヌーンという楽器自体の魅力と、それがアラブ音楽の音階/旋法(=マカーム)ごと西洋のジャズに違和感なく溶け込んだエポックメイキング的な作品だ。アラブ音楽における恍惚的な聴取体験を指す「タラブ(tarab)」と、現代ジャズ/グローバル音楽の語法を融合した新しい音楽言語の創出をテーマとして掲げており、実際にそれを体現している。楽曲によって楽器のチューニングは変えられており、平均律のものもあれば、マカームに則った微分音が頻出する曲もある。

(2)「Ambivalent」

バンドのメンバーも個性豊かだ。
ブルックリンを拠点とするベーシストで、アラブ音楽の紹介、普及、そしてコミュニティを構築することを目的とした非営利団体である「ブルックリン・マカーム」の共同創設者でもあるジョン・マーチソン(John Murchison)が土台を支え、フランスとアルジェリアをルーツに持つ鍵盤奏者ジェミナ・ブレショワール(Jemina Brechoire)がモーダルな和声感と繊細なタッチで彩りを与え、木管奏者ギデオン・フォーブス(Gideon Forbes)はフィラス・ズレイクに次ぐ重要なソリストとしてサックスだけでなく中東の伝統楽器ネイを吹き、ジャズとアラブ音楽の橋渡しを務める。ベルリン生まれのドラマー、クレメンス・グラスマン(Clemens Grassman)は現代ジャズの推進力を担い、複雑な拍感とダイナミクスで楽曲を立体的に構築している。

(3)「Fields of Figs」

収録曲はすべてフィラス・ズレイクの作曲。
アルバムを通じて印象的なのは、カーヌーンという楽器の音楽的支配力だ。アラブ古典音楽の合奏では旋律装飾を担うことが多い楽器を、ジャズの即興とマカームの旋律、さらにはハーモニーまで担いながらアンサンブルの中心に据えた意義は大きい。もちろん仲間たちによる素晴らしいアンサンブルがあってこそだが、冒頭に記述したようにグローバル化が進むジャズの新時代を代表する作品と位置付けられる高い完成度であることは疑いようがない。

Firas Zreik プロフィール

フィラス・ズレイクは1995年ハイファ1生まれのパレスチナ人カーヌーン奏者/作曲家/編曲家/教育者。現在はアメリカ合衆国ニューヨークを拠点に活動する。
音楽一家に生まれ、幼少期から演奏を始めた。ナザレの音楽コンクールで優勝後、バークリー音楽大学のプレジデンシャル・スカラーシップを受けて渡米し、Performance(演奏)と Jazz Composition(ジャズ作曲)の二つの学士号を優秀な成績で取得した。

アラブ伝統楽器カーヌーンを現代ジャズや即興音楽の文脈へ積極的に取り込み、その表現領域を大きく拡張してきたことで国際的に注目されている。マカーム(アラブ旋法)の微分音的な響きとジャズの即興性を融合させた独自の音楽性を特徴とする。

これまでに Roger Waters、Simon Shaheen、Amir ElSaffar、Fabrizio Cassol、Shankar Mahadevan、Shreya Ghoshal、Aynur Doğan など多彩なアーティストと共演。リンカーン・センター、スミソニアン博物館、Savannah Music Festival、Carthage International Festival など世界各地の主要ホールやフェスティバルに出演している。また、国際的歌手 Amal Murkus の音楽監督も務める。

2023年には創作フェローシップで知られる MacDowell Fellow(音楽作曲部門)に選出。2024年にはプエルトリコのアーティスト Residente との共作曲「Bajo los Escombros」への参加によりグラミー関連の評価を受けた。代表作に EP『Solo』(2021年)、アルバム『Salute』(2023年)、『Tarabesque』(2026年)がある。

Firas Zreik – kanun
Gideon Forbes – saxophone, nay
Jemina Brechoire – piano, keyboards
Ramiro Marziani – guitar
John Murchison – bass
Alber Baseel – percussion
Clemens Grassman – drums

Guests :
Layth Siddiq – violin
Anan Makhoul – oud

  1. ハイファ(Haifa)…地中海に面したイスラエル北部最大級の港湾都市。カルメル山の斜面に広がる美しい景観で知られ、ユダヤ人、アラブ人、キリスト教徒、イスラム教徒など多様な文化が共存する都市として知られる。歴史的にアラブ人が多く住んでいたが、1948年の第一次中東戦争を経てイスラエル領となった。 ↩︎
Firas Zreik - Tarabesque
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