“イヴ・クォーターメイン”の圧巻のデビュー作
レイト・トランスミッションズ・スターリング・イヴ・クォーターメイン(Late Transmissions starring Eve Quartermain)のデビュー・アルバム『The Heart Wants What It Wants』のクオリティの高さと、強烈な物語性に驚かされた。
グループの中心人物は、リヴァプールの音楽シーンで長いキャリアを持つデヴィッド・バルフ(David Balfe)とデヴィッド・ヒューズ(David Hughes)。そこに圧倒的な歌唱力を持つ無名のヴォーカリストのイヴ・クォーターメイン(Eve Quartermain)が加わり、映画音楽、60年代オーケストラル・ポップ、ジャズ、トリップホップなどを融合した独特の世界を作り上げている。
とにかく、まずは冒頭から数曲、できればアルバム1周分を聴いてもらえれば、相当にインパクトの強い作品だということが感じていただけると思う。
スタイリッシュなノワール映画のような退廃美がアルバム全編を覆う。
その中心にあるのは、間違いなくイヴ・クォーターメインという歌手の、強い魔力を秘めた“声”だ。プログレッシヴ・メタルとの親和性も感じさせるその声は、当初まったくの予備知識ゼロで聴き始め、あっという間に惹き込まれた時は男性かと思ったほどに力強く、驚くほどの表現力を身に纏っている。どんな経歴の持ち主なのだろう、と思って調べても、このアルバム以外の情報が見当たらない。──それもそのはず、どうやら「イヴ・クォーターメイン」なる人物は、このアルバムのために作られた“架空の存在”だったのだ。
「イヴ・クォーターメイン」という人物を“作り上げた”のは、テレビドラマや映画音楽の作曲家として知られるデヴィッド・ヒューズ。
ことの顛末は、こういうことらしい──彼はある晩、夢の中で「イヴ・クォーターメイン」という名前とペルソナを思いつき、すぐに彼と、Blurなどを送り出したことで知られる友人のデヴィッド・バルフは“彼女”が歌うべき楽曲の作詞作曲を開始した。彼らはイヴの後を継ぐのにふさわしい声を探し始めたが、それは容易なことではなかった。そんな中で、あるスタジオ関係者からジョー(Jo)ことジョアンナ・ブラウン(Joanna Brown)が紹介され、スタジオで1曲歌っただけで「イヴ・クォーターメイン」の実体が完成したというわけだ。
うまくハマりすぎた、まさに“夢のような”物語だ。
イヴ・クォーターメインを演じるジョアンナは、実際は42歳(2026年現在)で、幼少期から家庭内暴力によるPTSDを抱え、早い段階で家を出て音楽に救いを求めていた。実父は列車強盗で刑務所に入り、そこで神を見出し、出所後に教会で彼女の母と出会ったという。家では声を出すことさえ許されなかったジョアンナだが、学校では演劇で主役を射止め、合唱団やバンドにも所属するなど才能を発揮。イングランドのウィドネス出身の彼女はセッションシンガーやバッキングヴォーカルを経験し、ニューヨークでレコード契約を結んだこともあったが、プロモーション不足などでブレイクには至らずにリヴァプールに戻っていた、という経歴の持ち主だった。
そんなジョアンナが、“完璧にイヴ・クォーターメインを演じた”ことにより、デヴィッド・ヒューズの夢から始まった全てのパズルのピースが正しい場所に配置され、音楽史の新たな1ページに確かな足跡を残したことは明白だ。アルバムでは愛、喪失、憧憬、恍惚などが情感豊かに描かれ、復讐劇を描く(1)「The Avenging Angel」から忘れがたい体験をリスナーに与える。