木管奏者サム・サディガースキーとピアノ奏者ヨタム・イシャイの初デュオ作
ロサンゼルス出身で現在はニューヨークを拠点に活動するクラリネット奏者/作曲家サム・サディガースキー(Sam Sadigursky)と、イスラエル出身のピアニスト/作曲家ヨタム・イシャイ(Yotam Ishay)によるデュオ・アルバム『-ish』。全12曲、ゲストは招かずに全編たった二人だけの演奏だが、ジャズと室内楽を軸に、イスラエルの歌曲やユダヤ音楽など、それぞれが培ってきた文化的・音楽的背景が自然に溶け込んだ興味深い作品となっている。
二人が初めて出会ったのは意外と最近で、2024年初頭にニューヨークで開催されたウィンター・ジャズフェスだったそうだ。その後は定期的に会い、それぞれが曲やアイデアを持ち寄るようになった。音楽的な議論を深めるなかで二人が意識したのは、クラリネットが旋律を吹き、ピアノが伴奏するというありがちな固定された役割から離れることだった。今作はそうして形になった12曲を、2025年夏にニューヨークのスタジオでわずか1日で録音したものだ。
実際に聴いてみても、ソリストと伴奏者という関係はほとんど感じられない。サディガースキーのクラリネットは旋律を担うだけでなく、長い持続音や短いモチーフで曲の輪郭を作り、イシャイのピアノも旋律、和声、リズムの間を自在に行き来する。音数を絞った場面も多く、二人が互いの演奏を聴きながら、その場で音楽の進む方向を探していくような親密さが印象的だ。NY拠点のレーベル、Adhyâropa Records が本作を室内楽、ジャズ、世界各地のフォーク音楽を織り合わせた「collaborative song cycle(共同制作による連作曲)」と表現しているのも、この作品の特徴をよく言い表している。
収録曲は二人のオリジナルを中心に、一部にイスラエルやユダヤ文化に由来する楽曲が組み込まれている。
冒頭の短いイントロに続く(2)「Song of the Vineyard」は、イスラエルを代表する作曲家のひとりであるサシャ・アルゴフ(Sasha Argov)の楽曲のカヴァー。イシャイは自身のアルバム『Singing of the Herbs』(2025年)でもこの曲をヘブライ語の原題「Shir HaKerem / שיר הכרם」で取り上げており、今作ではサディガースキーとのデュオによって再び演奏している。
(4)「Avadim Hayinu」もイシャイが以前に録音したことのある楽曲だ。「Avadim Hayinu(עבדים היינו)」はヘブライ語で「私たちは奴隷であった」を意味し、ユダヤ教の過越祭(ペサハ)1の食事(セデル)で読まれる典礼書(ハガダー)に由来する。本作で演奏されている旋律はシャローム・ポストルスキー(Shalom Postolsky)の作曲。ここでは古くから歌い継がれてきたテキストが、クラリネットとピアノだけの簡素な編成の演奏に置き換えられているが、その演奏は心の内面を表すようにある時は静かに、そしてある時は激しく感情を揺り動かす。
こうしたレパートリーは、イスラエル出身のヨタム・イシャイだけに由来するものでもない。サム・サディガースキーも旧ソ連から渡米したユダヤ人の両親のもとに生まれ、クレズマーを演奏していた父の音楽を身近に聴いて育ったというユダヤ系の音楽家だ。自身の作品でもニューヨーク州キャッツキルに栄えたユダヤ系リゾート文化「Borscht Belt」を題材とした『The Solomon Diaries』などを制作している。生まれ育った環境は異なるものの、二人にとってこうした音楽は外部から借りてきた素材ではなく、それぞれのルーツのなかに存在してきたものでもある。
アルバム中盤では二人のオリジナル曲が続く。(5)「Sweety」、(6)「Confession」、(7)「Heartache」はヨタム・イシャイ、(8)「-ish」はサム・サディガースキーの作曲だ。ここでは特定の伝統を前面に押し出すよりも、二人の作曲家としての個性と即興的な対話が音楽を動かしている。
表題曲(8)「-ish」も、短調の三拍子が抒情的で美しい楽曲だ。「-ish」とは、英語で単語の末尾に付けて「〜っぽい」「〜くらい」といった曖昧さを与える接尾辞でもある。ジャズ、室内楽、フォークといった複数の語彙を行き来し、どこかひとつに分類しにくいこの作品にはよく似合う言葉だと思う。そして、ヨタムの姓「Ishay」との響きもほのかに連想させる…。
最終曲である(12)「Oseh Shalom」はユダヤ教の祈りに由来し、「天上に平和をもたらす者が、私たちにも平和をもたらしますように」という趣旨の言葉。本作ではイスラエル出身の音楽家ヨエル・サイクス(Yoel Sykes)による旋律が用いられ、12曲のなかで最も長い演奏として最後に置かれ二人の静かな対話を締めくくる。
プロフィール情報
Sam Sadigursky
サム・サディガースキーは、1979年アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ、ニューヨークを拠点に活動するクラリネット/サクソフォン/フルート奏者、作曲家。2002年にニューヨークへ移り、ジャズ、現代音楽、室内楽などを横断して活動してきた。詩と音楽を結びつけた『The Words Project』シリーズをはじめ、自身の作品も継続的に発表している。
これまでにブラッド・メルドー(Brad Mehldau)、フレッド・ハーシュ(Fred Hersch)、ルーファス・リード(Rufus Reid)、ジェイミー・バウム(Jamie Baum)、リンダ・メイ・ハン・オー(Linda May Han Oh)らと共演。ブロードウェイのオーケストラでも長く活動し、2020年にはフィリップ・グラス・アンサンブル(Philip Glass Ensemble)に加入。
クラリネットやサクソフォンを中心とした多彩な木管楽器を扱い、即興音楽と現代室内楽の双方にまたがる演奏・作曲活動を続けている。
Yotam Ishay
ヨタム・イシャイは、1990年イスラエル北部アフラ(Afula)生まれ、ニューヨーク・ブルックリンを拠点とするピアニスト/作曲家。幼少期からクラシック・ピアノを学び、作曲家ギデオン・ハゾール(Gideon Hazor)に約6年間師事。その後ジャズへと活動領域を広げ、イスラエルのリモン音楽学校(Rimon School of Music)を経て、全額奨学金を得てバークリー音楽大学(Berklee College of Music)に進学した。
ジャズの即興とクラシック音楽の作曲技法に、イスラエルや地中海地域の旋律・リズムを取り込んだ音楽性を特徴とする。これまでにザキール・フセイン(Zakir Hussain)、マイケル・リーグ(Michael League)、ビル・ローレンス(Bill Laurance)、アダム・バウディヒ(Adam Bałdych)、ジェイミー・ハダッド(Jamey Haddad)らと共演。バークリー・インディアン・アンサンブル(Berklee Indian Ensemble)のアルバム『Shuruaat』にも参加している
近年は自身の作品を通して、イスラエルの歌曲やユダヤ音楽の伝統を現代的なジャズや室内楽の語法で再解釈する試みにも取り組んでいる。
Sam Sadigursky – clarinet, alto flute
Yotam Ishay – piano
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- 過越祭(ペサハ)…古代イスラエルの民がエジプトでの奴隷状態から解放された「出エジプト」を記念するユダヤ教の祭り。初日の夜などに「セデル」と呼ばれる儀式的な食事を行い、その際に出エジプトの物語や祈り、歌などをまとめた典礼書「ハガダー」を読み進める。 ↩︎